世界最大のスラムに行く前に、今の想いを綴ってみる







どうも、旅人くじらです。

ここケニアの首都ナイロビには、アフリカ最大とも、また、世界最大とも言われるスラム街があります。

実は、明日そこを訪れることにしました。心境の変化があるかもしれないので、スラムに対する今の想いを綴ります。

「アフリカ最大のスラム街」と言われるキベラへ行ってきた

2017.05.23

世界最大のスラム街「キベラスラム」

日本にも少なからずスラム街は存在しますが、キベラスラムは人口や生活環境、どれをとってもその日本の比ではありません。

人口100万人が住むと言われるキベラスラム。(因みにキベラとは、地区の名前。東京で言う、世田谷みたいな感じ。)

もちろん実際の正確な数字なんて誰にもわかりません。なんせスラムの規模が大きすぎる上、警察や政府の力が及ばない場所です。

ゴミが散乱するケニアのスラム街 (引用:ぱくたそ

スラムへ行く“ツアー”が存在する

キベラスラムへ行くにはツアーで行くことになります。

ツアーである理由はただ1つ。

 

外国人が個人で行くには、あまりに危険すぎるから。

 

治安は言うまでもなく“最悪”です。いつ銃をもった人が現れるかわかりません。集団に襲われる可能性だって大いにあり得ます。

 

ただ、スラム街と言ってもそこは人の住む場所です。人の生活圏です。

住んでいる人からしたら、自分の住むところをツアー化されて、外国人がノコノコとやってきて、写真をパシャパシャ取られて、たまったもんじゃないでしょう。

と、思うのが私たちの考え。

それ故、スラム街へのツアーが存在することには賛否両論ありますが、

自分はツアーがあることに賛成です。

なぜなら、ネットやテレビ、その他メディアを通じて入って来る情報と、実際の現状にはやはり少なからずギャップがあります。現地へ行って実際に現状を見たり、現地に住む人と話をしたりして正確な情報を得ることは、スラム地区の本質的な問題の解決策を探る糸口になるからです。

また、現地へ行くと人間の五感を通じてスラムを感じることになります。メディアで聞いたスラムと、現地へ行ったスラムとでは、特に人の感情に訴えられるパワーの大きさが違います。見たものが社会の光や影だとしても、訪れた人の感情を大きく動かすのはやはり実際に足を運んだ場合です。感情は行動の源。スラムの問題を解決するには1人でも多くの人の行動が必要です。

まぁ、スラムが「問題」なのかはまた議論の余地がありそうですが。

スラムに対して今自分が想うこと

さて、ようやく今回の本題。

スラムに対して今自分が想うこと、それは、

 

スラム街に存在する、人が健康で文化的な生活を送ることを阻む問題を解決したいと思うけれど、それはあまりに大きく複雑に見えて、とても私たち個人だけでなく日本の数ある国際協力NGOの力を結集したとしても解決できないように見えるので、自分が何をすればいいのかわからない。だがしかし、私たちがスラムに対して一般に考える問題はあくまでも豊かな先進国側の価値観に基づいた問題であって実はこれは本当の問題ではない。実のところ、スラムに住む人々との対話なしでは問題解決はあり得ない上、問題自体が存在するかもわからない。

 

つまり言いたいのは、スラムに住む人が自分自身の生活をどう思っているかを知らない限り、自分含めて私たちが手出しすべきことは何もない、ということです。

 

例えば、

「世界では1ドル以下で生活する人の数は~億人以上」と聞いても悲観するのはまだ早い。

「電気もなければ水道もない生活」と聞いて悲観するのはもっと早い。

「水汲みに毎日往復3時間」と聞いて悲観するのは超早い。

 

このような統計的なデータや生活の実態の話を耳にしたことがあるかもしれませんが、

その人の実際の声を耳にしたことはありますか?

 

自分は思います、

1ドル以下でも衣食住を全て自給自足できていたら、1ドル以上お金を得る必要はあるだろうかと。

電気がなくても蝋燭一本で家族団欒でき幸せに暮らしていたら、電気を灯す必要はあるだろうかと。

水汲みに行っている人が将来マラソンランナーやボディービルダーを目指している人だとしたら、家の近くに井戸を掘る必要はあるだろうかと。(この例は極端すぎたか、、、苦笑)

 

当人たちが本当に困ってる事を知らない限り、私たちの抱く彼らに向けられる問題とは傲慢さ以外の何物でもない

 

さらに極端な話をすると、スラムに住む人々の平均寿命はその劣悪な衛生状態ゆえにか30歳と言われていが、彼らが30年で人生を終えることに対して後悔なく幸せに最期を迎えられているというならそれは問題ではないのです。

 

しかしここで注意したいのは、スラムに住む人に対して、絶対に「困っていることは何ですか?」と聞いてはいけないこと。

長くなってしまったのでこの話は割愛し別の記事に書くことにします。

(ここに至るまでには本当に多くの考えの変遷があった。特に大きな影響を与えられたのは『途上国の人々との話し方』という書籍。)

 

とにかく、現地の人との対話無くしては、自分が抱くスラムに対する想いなど、何を想っても自由だがそれが何だとしても彼らに対して失礼極まりないものであると考えています。

なので、自分の「スラムに対する想い」をより正確に言うならば、

特に何も。

これは冷たい言い方かもしれませんが、でもこれが今の自分の気持ちそのもの。

最後に

では、特に何も思っていないのなら、なぜ自分はスラムに行こうとしているのでしょうかねえ。

わかりません。

それから、これを書いていて思ったことがあります。

それは、きっと今のこの自分の考えは、自分が世界を無視し続ける理由になってしまうということ。

世界に困っている人が大勢いる、でも彼らに聞いてみないとわからない、だから自分が彼らに対してやるべきことは何もないのだと、そう言って自分は彼らに対して何も行動を起こさなくなるような気がしてならない、、、

貧困は世界中に存在する。それ故、あまりに問題が大きすぎると考えると人は考えることを辞め無力感に陥りやすい。

自分もその無力感に襲われて手を止めてしまったときが、一番怖い。

あの場所に住むあの人の声を聞いて聞かぬふりをして人生を歩んでしまうのではないか、、、。

 

それじゃ、またね、、、

The following two tabs change content below.
白尾 諒 (ShiraoRyo)
1995年静岡県生まれ。アジア・アフリカ14カ国を旅したVlogクリエイター。東京外国語大学アフリカ地域研究専攻3年。些細なことをきっかけに1年半前にYouTubeを始め、それ以来映像づくりにハマる。現在はビデオブログ(Vlog)を投稿中。






ABOUTこの記事をかいた人

白尾 諒 (ShiraoRyo)

1995年静岡県生まれ。アジア・アフリカ14カ国を旅したVlogクリエイター。東京外国語大学アフリカ地域研究専攻3年。些細なことをきっかけに1年半前にYouTubeを始め、それ以来映像づくりにハマる。現在はビデオブログ(Vlog)を投稿中。